日本最北端の戦争遺産「赤れんが通信所」を後世に語り継いでいきたい

プロジェクトイメージ
すでに集まった金額

1,003,000

目標金額
2,000,000円
50%
現在の応援人数

106

延べ158
募集終了まで残り

終了

2019/12/01 00:00に終了

日本の最北端に位置する戦争遺産「赤れんが通信所」。太平洋戦争時、ここから真珠湾攻撃を指示する暗号電文が中継されたといわれています。敗戦後、昭和30年代まで米軍キャンプがあり、地元との交流もありましたが、その後は国の管理となり、平成18年には稚内市が譲り受けました。日本最北端にある赤れんがの歴史的にも貴重な建築物を残し、戦争の悲劇を後世に語り継ぐためにも、この通信所を修復し、存続させていきたいと考えています。

日本最北端の戦争遺産「稚内赤れんが通信所」とは

日本最北端、稚内市の空港から約5キロほどの丘陵地にレンガ造りの建物がひっそりと建っています。この建物は「旧海軍大湊通信隊稚内分遣隊幕別送信所」、通称「稚内赤れんが通信所」と呼ばれ、建物は3棟あり、一番大きなA棟(875㎡)、望楼が印象的なB棟(475㎡)、一番小さなC棟(70㎡)が、最北の厳しい風雪に耐えながら現存しています。昭和16年に始まった太平洋戦争のきっかけをつくってしまった建物でもあります。



A棟とC棟は昭和5~6年に建築されており、B棟は昭和16年に建てられました ここで特徴的なのは、A棟とC棟の屋根の小屋組みが鉄骨なのに対し、それより10年後に建てられたB棟の小屋組みが木造であるという点です。 推測ですが、昭和16年は太平洋戦争が勃発した年であり、すでに鉄が不足していたのではないでしょうか。

「ニイカタヤマノボレ」を中継打電

昭和16年12月2日17時、大本営より真珠湾攻撃の暗号電文「ニイタカヤマノボレ一二○八」が発信されました。 ちなみに電文の中の「ニイタカヤマ」は、当時日本領であった台湾の山の名前であり、富士山より高く、そのときの日本の最高峰でありました。(新高山;3,952m、富士山;3,776m) 暗号電文は国内数箇所から送信されましたが、当時稚内で勤務していた軍人の方が、この送信所からも暗号電文を送ったと話しており、文書の記録は残っていませんが、この赤れんが通信所からも「ニイタカヤマノボレ」が送信されたものと思われます。終戦後は、アメリカ軍が昭和23年から34年まで駐屯していました。
戦争は二度と繰り返してはなりません。その教訓を後世に伝えるためにもこの建物を残していく活動を始めました。

赤れんが通信所を守る稚内市歴史・まち研究会

私たち稚内市歴史・まち研究会は、国境の街、稚内の歴史を物語るこの建物を何とか保存活用できないかと平成18年から活動を続けてきました。 一番小さなC棟は、平成18~19年にかけて、稚内市内の板金組合さん、建具組合さんのボランティアできれいに復元することが出来ました。 しかし、A棟とB棟については規模が大きく、どうしたものかと思案していたところ、平成23年の大雪により、B棟の屋根が大きく崩れ落ちてしまいました。 崩れた屋根はレンガの壁にも影響し、非常に危険な状況となってしまいました。



私たちはこれ以上の崩壊を食い止めるため、崩れた屋根材を撤去し、レンガの壁の補強を目指しています。

2019年春の取り組み

本年「太陽財団」さんから1,000万円の助成を受け、B棟の崩落箇所の片付けと、鉄骨による壁の補強、望楼部分の補強を行いました。

【大雪により崩落したB棟の様子】


【人と機械により片付けと補強を行う】


【片付けと補強が完了】

2019年の取り組み

作業を進める中で、このままでは残った屋根が崩落したら、望楼が倒壊してしまうかもしれない、という危機感を抱き、現在残っている屋根の小屋組みを再利用して、せめて望楼周辺のみでも屋根をかけようという計画が持ち上がりました。

望楼の片側2mともう片側3.6mを復元する予定です。

■課題

現在は、年々崩落していく建物の保存・補強が精一杯で、この赤れんが通信所の活用まで至っていません。

■支援金の用途

B棟の残った小屋組みを再利用し、望楼の片側2mともう片側3.6mずつに復元し、鉄板で屋根を葺き、望楼周辺のみ独立させて、これ以上の崩壊を防ぐために、300万円の修復費用がかかります。この費用をクラウドファンディングで集めたいと考えています。

▼プロジェクトを通してかなえたい夢や目標、思い描く未来

完全に復元したC棟をはじめ、今回修復するB棟も、安全に内部を見学することも出来るようにして、見学者の満足度が高められるようにしたいと考えています。さらには、さらには稚内市内に残るこの地域固有の歴史的建造物を巡ることで、国境のまち稚内の歴史を学ぶことが出来るようにするのが目標です。

■リターン

1,000円
お礼のメール

3,000円
お礼のはがき 1枚(赤れんが通信所のポストカードによる)


5,000円
お礼のはがき+ポストカード1組(赤れんが通信所)


10,000円
お礼のはがき+ポストカード2組(赤れんが通信所、旧天北線)


30,000円
お礼のはがき+ポストカード2組+藩士のコーヒー(1個)




50,000円
お礼のはがき+ポストカード2組+藩士のコーヒー+珍味詰め合わせ(5,000円相当)



100,000円
お礼のはがき+ポストカード2組+赤れんが通信所見学券(1枚)+毛ガニ(2尾)
※見学に関しては予約制です。発行から1年間有効。

▼プロフィール

稚内市歴史・まち研究会 プロフィール
平成18年 会員28名で設立
私たちの目的は、稚内市に残る歴史的建造物を通して地域の活性化を図るとともに、歴史を学ぶことです。これまでの活動としては、赤れんがの周辺整備として、1,000本以上の桜を植樹したこと、すべてボランティアでB棟を復元したことなどがあります。H24年から「宗谷防人物語」と題し、地域の歴史を学ぶ講座を実施しました。

【受賞歴】
H20年 環境省「みどり香るまちづくり企画コンテスト」環境大臣賞受賞
H23年 日本ユネスコ「プロジェクト未来遺産」認定
H30年 国土交通省「手づくり故郷賞」認定


稚内市歴史・まち研究会 会長 富田 伸司
昭和35年2月9日稚内生まれ。昭和61年(株)富田組入社し、平成12年6月代表取締役社長 就任。平成18年5月に稚内市歴史・まち研究会の会長就任。稚内カーリング協会他多数の街づくり団体に関わり、生まれ育った稚内をよりよい街にしていきたいという思いから、街づくりを中心とした活動に携わる。

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支援金額とリターン

1,000円

お礼のメール

  • 44口が支援済み
  • お届け予定:2019年12月
受付終了

3,000円

お礼のはがき(赤れんが通信所のポストカードによる)

  • 19口が支援済み
  • お届け予定:2019年12月
受付終了

5,000円

お礼のはがき+ポストカード1組(赤れんが通信所)

  • 32口が支援済み
  • お届け予定:2019年12月
受付終了

10,000円

お礼のはがき+ポストカード2組(赤れんが通信所と旧天北線)

  • 38口が支援済み
  • お届け予定:2019年12月
受付終了

30,000円

お礼のはがき+ポストカード2組+藩士のコーヒー

  • 2口が支援済み
  • お届け予定:2020年01月
受付終了

50,000円

お礼のはがき+ポストカード2組+藩士のコーヒー+珍味詰め合わせ(5,000円相当)

  • 0口が支援済み
  • お届け予定:2020年01月
受付終了

100,000円

お礼のはがき+ポストカード2組+赤れんが通信所見学券(1枚)+毛ガニ(2尾)
※見学券の詳細は本文にて

  • 3口が支援済み
  • お届け予定:2020年01月
受付終了

EZOポイントで支援

100 EZOポイント

受付終了